満天の星だった。
魔法の眠りは疲れを癒しはしない。
体の芯に気だるい感覚が残ってはいたが、アグリアスは眠れなかった。
冷たい風が吹き、マントをきつく体に巻きつける。秋が終わり、長い冬が始まろうとし
ていた。
野営場所から程近い、小高い丘を登る。
そこには先客がいた。
「オルランドゥ伯」
雷神シドは微動だにしない。アグリアスの気配など、とうの昔に気付いていたはずだ。
老人は、振り返らぬまま言葉をつむいだ。
「そなたの相談は聞けぬぞ」
アグリアスは俯く。もしかしたらとは思っていたが、やはり雷神はアグリアスが夢の世
界から持ち帰った剣の正体を知っているのだ。
「無理を承知でお願いします。どうか、この剣を預かって頂きたい」
老人はかぶりを振った。
「渡す相手が違うのではないか?」
疲れきった聖騎士は、俯いたまま、苦しげに告白する。
「実はもう、彼には話しました。しかし、受け取って貰えぬのです……」
アグリアスは回想する。
眠りより目覚めて、仲間たちのねぎらいを受けてのち、彼女は少年を呼び出した。
夢の世界より彼女と共に帰還した剣のことを話し、少年の手に委ねようとした。
しかし彼は断った。
『それは騎士剣です。僕には使えませんよ』
確かに、道理である。
『第一、剣はあなたをあるじに選んだんだんでしょう? その気持ちを無碍にはできませ
ん』
……顛末を聞き、雷神は愉快そうに大笑いをした。
「なるほど、坊主らしい物言いだ。その剣の名は告げなかったのか?」
「言えませんでした……。それに、私だって確信があるわけではないのです」
老人は面白そうにアグリアスの表情を窺っている。
彼女の予想は当たっていたようだ。
「やはり、師はこの騎士剣の正体を知っておいでですね」
「無駄に歳を重ねてきたが……まあ、多少は他人よりも多くのものを見、多くの書物を読
んだ。その鞘に刻まれておる神聖文字には見覚えがあるよ」
聖騎士の鼓動が早まる。
老人は、気負う様子も無く答えを告げた。
「この剣を抜くもの、王とならん。そう書いてあるな」
やはり、そうか──。
イヴァリースの民であれば、誰もが知っているお伽話。
伝説の時代の英雄が振るったとされる、王者を選ぶ剣。
世に名高き『聖剣』、その名を……
エクスカリバー。
「まあ、それが本物だという保証はどこにもない」
奥歯を噛みしめ立ち尽くすアグリアスと対照的に、気楽な様子で老人は言葉を続けた。
「創作意欲を掻き立てる題材なのだろう、この畏国にも何本あるか知れん。どうやら魔法
の剣であるのは確かなようだが、ひょっとしたらルカヴィが悪ふざけで鍛えたものかもし
れぬ」
もちろんそうだろう。偽物に違いない。
なぜなら、『聖剣』が自分を選ぶはずは無いのだ。
『我が半身よ』
しかし、それでも。
『我が主を求めよ』
万に一つの可能性でもあるのなら……。
「確かに偽物かも知れません。しかし、もしかしたらこれはいくさの行く末を変えるもの
かもしれないのです。お願いします、どうか──」
「願いは聞けぬ。そう申したはず。そなたはそなたの責任を果たすが良い」
「しかし!」
「もし本物だとするならば、今そなたの手の内にあることもまた意味があるのだろう」
「私には、王の資格などありません……」
「その剣がそなたに求めているのは、王となることでは無いのかもしれぬ」
「!」
アグリアスは言葉を失った。その言葉は、彼女が検討したもう一つの可能性を示唆する
ものだった。剣は言った。『我が半身』と。
──自分は、剣と同じ役割を与えられたものかもしれない──。
……気が付けば、シドは丘を下ろうとしている。
「待ってください、師よ!」
「眠くなった。そなたも休むがいい」
「あなたは、かつてこの剣を持ったことがあるのではありませんか!?」
「無意味な問いだ。わしが否定しようと肯定しようと、そなたはそれを信ずることはでき
ぬ」
「無理です! 私にはできません、王を選ぶなどと不遜な……」
シドはアグリアスを歯牙にもかけず、悠然と歩き続ける。
「剣の持ち主がみな良い王になったわけではないよ。暴君となり逆臣に討たれたものもい
れば、道なかばで斃れたものもいる。何も為しえぬまま、剣を失ったものもな。……結局
のところ、剣のひとふりなどで、ひとつの国がどうなるものでも無いということだ」
「私では駄目なのです!」
「別に、そなた一人に世界の命運をまかせようとは思うておらん」
足を止め、老人はゆっくりと振り向いた。
「それにな、たとえどんな結果になろうとも……」
そして、いたずらを企む子供のように、人の悪そうな顔で笑う。
「黙っていれば、そなたのせいとは分からんさ」
老人は去った。
残されたアグリアスは、一人迷う。
自分にはもう何も選べない。だから、この剣の所有者でいてはならないのだ。
多くの命を秤にかけた選択を、この私に委ねてはいけない。
なぜなら、私はもう選んでしまったから。それ以外の道は歩めないから──。
彼は私を、ひいては聖剣を手に入れるだろう。世界を揺さぶる力を手に入れるだろう。
だが私は彼を量れない。その力に値するものかどうか見極めることが出来ない。
何とも比べられない。何を失おうとも戻れない。
なぜなら、私は知ってしまったから。
その喜びを。その苦しみを。
ともにあることの、安らぎを。
何ものにも代えがたい、自分にとって一番大切なものを。
──もう、認めようと思う。
彼は選び、私も選んだのだ。
たとえ報われなくとも。たとえそれが国を滅ぼす選択だとしても。
今はただ、前に進むしかないのだ。
心命ずるままに。
私は、恋をしている。
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