■月は無慈悲な夜の女王■


 草木も眠る丑三つ時。
 ラムザ達教会反逆者のパーティーのキャンプを蠢く人影があった。
 不寝番の少年兵ラッドにそっと頷くと、一人また一人と木陰に消えてゆく。
 やがてテントの中から、全ての男性メンバーの姿が消え去った。



 キャンプから少し離れた岩壁に、手ごろな大きさの洞窟があった。
 それぞれが持ち寄った薪を積上げ火をつけると、男は重々しく宣言した。
「それでは、定例会議を始める。今日の議題は、アグリアスの口紅だ」
 男の名はベイオウーフ。魔法剣を振るう偉丈夫である。
「またそんなネタか……貴公らもっと他に考えることは無いのか?」
 辛辣な批判を述べるのはマラーク、特徴的な髪型の元暗殺者であった。
「まーいーじゃねーか、これは息抜きなんだからよ。真面目な話なら、それこそ全員集
まった時にすべきだろ?」
 もっともな反論を試みたのはムスタディオ。尻の軽い機工士である。
「いや、マラークの気持ちも少しわかるかな……」
 自信無さげに呟いた少年はラムザ。これでも教会関係者を震撼させた大犯罪者だ。
「……」
 そして、上座に座った眠ってるんだか起きているのだかわからない年寄りが、最年長の
シド・オルランドゥ。時代を代表する剣の達人であった。
「まあとにかく、議題はアグリアスの口紅だ。最近たまに紅を差していることがあるのを、
気付いた者もいるだろう。今日の論点をまとめると、1、いつからしているのか。2、何
がきっかけなのか。3、誰かに贈られたものなのか。そんなところか」
 マラークがうんざりした顔で一人ごちた。
「くだらぬ」
 ラムザは居心地悪そうに洞窟の入り口あたりに視線を漂わせた。
「そういう個人的な事柄を詮索するのはどうかなあ……」
 人の悪そうな笑みを浮かべ、ベイオウーフがたしなめる。
「馬鹿を言うな、ラムザ君。妙齢の美女がパーティにいるんだ、みんな気にならないわけ
はないだろ。今後も円滑に部隊を運営してゆくにあたってだな、疑問を解消しておくに越
したことはない。君はまだそっち方面にまで気が回らないようだが、男女混成部隊の指揮
官としては、忘れてはならないことだぞ」
 良く口の回る人だ……と内心ラムザは思ったが、勿論口に出したりはしない。よりいっ
そうの言葉攻めにあうのは自明のことである。
「で、ご老人の目から見てどうですか?」
 ベイオウーフは上座に水を向けた。
「最近少々化粧が濃くなった」
 雷神と呼ばれる男は重々しく頷いた。
「さすがは百戦錬磨のじじいだぜ」
「シド伯の目であれば確かだろうなあ。俺は気付かなかったが。なあ、ラムザ」
「ぼ、ぼ、僕は知りませんよ……」
 何もやましいことは無いのに、なぜかどもるラムザ。ムスタディオは冷たく指摘した。
「なんでお前が慌ててるんだ」
「べ、別に僕は慌ててなんか……」
「そうか、そういえばラムザが一番付き合い古いんだよなあ……。昔っから化粧っ気あっ
たのか、あの方は?」
「そ、そりゃあ、時々はお化粧だってしてましたよ。あんなに綺麗な人なんだから、当然
じゃないですか。強いだけじゃなくって、身だしなみだってちゃんとしなきゃ、て人なん
ですよ」
 饒舌になりすぎたことに気付き、ラムザは口をつぐんだ。なんとなく、誘導尋問とか吊
るし上げとか弾劾裁判とかいう言葉が脳裏に浮かんだ。いやいやまさか、そんなことはな
いだろう……仲間なんだし……。
「ふむう、よく見ているようだなラムザ君は」
「そうだなあ、よく見ているよなあ確かに。俺たちの見てないモノも見てそうだよなあ」
 意地悪くヒヒヒと笑うムスタディオ。ラムザはむっとしたが、なんとか堪えた。いつの
間にかムスタディオやベイオウーフが酒杯を手にしているのを見て、暗澹たる気分になる。
もうテントに帰って眠りたかった。



「それでは次は、きっかけだな。アグリアス嬢の口紅が目立つようになったのは、老師に
よれば、最近のことらしい。何が彼女を変えたのか」
 先生どうですか、とベイオウーフは上座に問いかけた。
「化粧の影に男あり」
 老人は簡潔に答えた。うむうむと頷く魔法剣士と機工士の二人。
「納得できる答えですな」
「そうかあ、男かあ。あのアグリアスがなあ」
 何となく微妙に腹立たしいような気がして、ラムザは一人抗弁を試みた。
「いや、アグリアスさんは……そんな人じゃぁ無いですよ」
「そうは言ってもなあ、あれでいい歳だしなあ」
 畏国の民の平均寿命は50年ほどだという。十六、七で嫁ぐのが当たり前のこの世界で
は、確かに嫁き遅れと言われても仕方の無い年齢に、アグリアスは差しかかろうとしてい
た。
「そんな嫌味な言い方するなよ、ムスタディオ」
「お前が怒るなよラムザ。女ってな男以上に複雑な生き物なんだ。お前が知らないような
色んな葛藤があるのさ。なあ騎士さん?」
「ラムザ君は若いんだから、仕方ないさ」
 馬鹿にされているような気がする……。ラムザは周囲に剣呑な空気を振りまいた。そこ
へ絶妙なタイミングで切り込むベイオウーフ。
「それとも、ひょっとして……。ラムザ君には心当たりがおありかな?」
 瞬時に耳まで赤くなるラムザ。
「そ、そ、そそそそそそそそ」
 ムスタディオが、酒杯を手渡した。ラムザは一息に飲み干すと、ムスタディオに杯を突
き返し、叫び声を上げた。
「そんなことあるわけないじゃないですか!」
「まあまあまあまあ落ち着いて、落ち着いて」
 あまりの大声にベイオウーフが宥めに入る。
「そんな大声じゃ女性陣に感づかれてしまうよ。さあさあゆっくり深呼吸して」
「は、はい……」
 再び杯を手渡され、ラムザはゆっくり飲み干した。
「お前もアグリアスのこととなると、とたんに冷静じゃなくなるよなー」
 にやにや笑いながらからかうムスタディオに、ばつの悪い顔で言葉を返す。
「うるさい、ムスタディオ。僕はいつでも冷静だ」
「そうそう、別に君とアグリアスが深い仲かどうかなんて質問してないんだから、そんな
に動揺することは無いんだよ」
 にこやかに爆弾を投げるベイオウーフの前で、ラムザは蒼白になって顎が外れそうな勢
いで大口を開けた。ベイオウーフは、唇の前で指を一本立てた。
「大声は禁物だよラムザ君。さあ、次の論点に移ろうか」



「次は彼女の化粧道具や装身具の贈り主だ。自分で買ったものなのか、誰かからの贈り物
なのか」
「先に言っておきますが、僕が買ったわけじゃないですからね。勿論由来も知りません」
 ラムザは先に防衛線を張った。
「お前の嘘はすぐにバレるんだぞ?」
「どうして僕が嘘つく必要があるんだよっ」
 本気で腹を立てているらしいラムザを前に、ベイオウーフは顎を撫でた。
「うーん、ラムザ君も知らないのかあ。昔から持ってたのかなあ」
「でもさ、ラムザが知らないからって、男絡みじゃないとは限らないよなあ」
 ムスタディオが腕組みしながら、ちらりとラムザを窺った。
「なんだよそれ」
「お前がさっき言った通りさ。お前がアグリアスの全てを知っているわけじゃ無いってな」
「ふ、ふざけるなよ! アグリアスさんはそんな人じゃないぞ!」
「どうどうどう、落ち着けよラムザ君。ムスタディオ君も煽るんじゃない」
 慌てて仲裁に入ったベイオウーフは、ラムザとムスタディオの杯がいっぱいになるまで
酒を注ぎ足した。二人とも、一気に手中の杯を干して、同時にベイオウーフに突き出した。
ベイオウーフは少しだけ悪い予感をおぼえた。
「これ以上アグリアスさんを侮辱してみろ。いくらお前でも許さないぞ」
「俺は誰も侮辱なんかしてないぜ。強いて言うなら、お前がガキだって指摘しているのさ」
「なんだと! もう一度言ってみろ!! お前だって子供じゃないか!!」
「お前よりかは世の中知ってるんだよ!! ボンボンのくせに生意気言ってるんじゃねえ
ぞ!」
 あ〜〜〜まいったなあ、という表情でベイオウーフは自分の酒杯を見下ろした。どこで
間違ったかなあ、大騒ぎになりそうだなあ。面倒くさいから俺も酔っ払っちゃおうかなあ。
「ちっくしょう〜〜〜、許さないからなムスタディオ! お前が僕より大人だってんなら
証拠を見せてみろよ!」
「ああ教えてやるさ! 俺がお前なんかよりずっと人生の真実を知ってるって証拠をな!!
えーとえーと……苦い人生の真実ってのは例えばだなあ」
 ムスタディオは酩酊した頭脳で人生の真実について深く考察してみた。
 何も浮かばなかった。
 う〜〜〜ん困ったぜ、どうすっか……。そんなことを考えていると、ふとラムザの肩越
しに老人と視線が合った。人生の悲哀を噛み締めた瞳がそこにあった。ムスタディオは、
視線でじいさん助けてくれと呼びかけた。老人は重々しく頷き、こう言った。
「ブーツ女の足は臭い」
「そ、そうだ! アグリアスのブーツも臭いぞっ!!」
「な、なんだとぉ〜〜〜〜!!!!!!」
 ラムザの大声が洞窟の外にまで響き渡った。ヤバい。ずらからなくては。ベイオウーフ
はそそくさと、素早く逃げの体勢に入った。
「違うっ! そんなことはないっ! アグリアスさんはいい匂いしかしないんだっ!! 
そうですよねベイオウーフさん!?」
 必死な表情のラムザに掴みかかられ、ベイオウーフは半笑いで迎合した。
「そ、そうだよねラムザ君……君の言う通りだと思うよ」
 しかし性質の悪い酔っ払いと化したラムザは、濁った頭でベイオウーフのその場しのぎ
の嘘を見破った。
 頭をかかえ、イヤイヤをしながらじりじりとあとずさる。
「う、嘘だ……」
「ええーーっと……、ラムザ君?」
「ウゾダドンドコドーーーーン!!!」
 もはや畏国語には聞こえない叫び声を上げながら、ラムザは洞窟の外へと走り出した。



「ぶぇっくしょいっ」
 マラークは自分のくしゃみで目を覚ました。寝ぼけ眼であたりを見回すと、ちょうど洞
窟を出ようとしていた雷神の背中が目に入る。視線に気付いたのか老人は振り返り、
「気が付いたか。お主も早く逃げるが良い。ここも戦場になるやも知れぬ。もし捕虜の辱
めを受けたとしても、他言はならぬぞ」
 ぶっそうな言葉を残して去った。
 混乱したままマラークは、洞窟を出る。僅かな時間であったが、もう老人の姿を見分け
ることはかなわなかった。
 寒さに震え、自分も天幕に戻ろうとしたところで下界の騒動に気が付いた。女性陣の天
幕の方向から叫び声が聞こえる……マラークは、もしや妹に危機が迫っているのではない
かと耳をすませた。



 ラムザ君どうしたのうわっ駄目よそんなとこ触っちゃええーいうるさいぞ眠れないでは
ないかあっあっ何をするんだこのアグリアスさんアグリアスさん僕は僕はちょっとラムザ
君正気なのわわわ靴を引っ張るななあにいやーん本気なのー貴様ラムザなにをしようとし
ているやめろ殺すぞ大丈夫です大丈夫ですアグリアスさんはいい匂いしかしないです愛よ
愛だわこれ以上の愛があって嘘だろやめてくれそれだけは平気ですアグリアスさんのブー
ツなら……げほっげほっおげげげげーーーギャーーーやったな貴様よくも乙女に恥を駄目
ですよ隊長真剣はまずいですってばうるさい止めるなお前らこいつを殺して私も死ぬんだ



 ……何かとてつもなく恐ろしいことが起こっている。それだけは分かった。それしか分
からなかった。とてもラムザの救援に駆けつける気になれず、自分の天幕に引き返そうと
して、マラークは夜番のラッドに気が付いた。
「……しばらくほとぼりを冷ますので、次回の会議は未定だそうです。……一体何が起っ
ているんですか?」
 マラークは頭を振りながら、無言で歩み去った。


『月は無慈悲な夜の女王』END
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