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■友■


 彼は、僕にとって最も年の近い兄弟であり、親友だった。
「ラムザ、ちょっと探険に行ってみないか?」
 昼食も終わったあとの昼下がり、初等数学の教習本を読んでいた僕を彼が誘いに来た。
 探険と聞いて心が弾む。二人の実兄は、年齢が離れすぎていてなかなか僕らには付き合
ってくれない。小さな妹達を男の子の遊びに付き合わせると、侍女や執事がいい顔をしな
い。というわけで、彼だけが僕のまともな遊び相手だった。
「探険? いいよ、行こう!」
 僕は飛び上がり、かばんに必要と思われるものを突っ込んで、ディリータと共に部屋を
飛び出した。



 探険行の入り口は、とある地下の部屋だった。
「この本棚の隣、なんだか不自然に空いてるだろ。良く見ると、この石畳に隙間がある。
レールになってるんだ」
 ディリータは本棚の側面にかがみ込んで、少し浮いている底板を探った。かちりと、小
さな音がすると立ち上がる。
「こうすると、ほら、動くんだ」
 ディリータが渾身の力を込めて棚を引っ張ると、言った通りに棚が横に滑り始めた。僕
も慌てて手を貸して、本棚を押す。二人で力を合わせて、ようやく子供一人が通れるくら
いの隙間が開いた。
「よし、これで扉が開けられる」
 棚の後ろの壁面は、床と同様に石と石の合わせ目に隠してはいるが、矩形の溝が走って
いる。開けるぞ、と言ってディリータが壁を押した。意外にも滑らかに石の壁が動いて、
向こう側に開いた。扉なのだ。
「す、すごいな……」
 僕は思わず呟いた。扉の仕組みに驚いたのか、それを発見したディリータに感心したの
か自分でも良くわからない。
 扉の向こうは当然ながら、真っ暗だった。壁と天井は石で覆われているが、床はひんや
しりた土がむき出しになっている。明らかに人の手の加えられた隧道だった。かすかに、
かび臭い風が吹いている。
「思った通りだ、空気が動いてる」
 ディリータは僕の顔を見てにんまりと笑った。
「つまり、外と繋がってるってことだ。この道は地上に出口があるんだ」
「う、うん!」
 僕も嬉しくなって、何度も頷いた。
 久々の冒険の予感に心が踊った。



 ディリータの持ってきたカンテラから、僕のカンテラに火を移してもらう。
 ふたつの小さな光源に、ぼんやりと行く手が照らし出される。僕らの目の届く範囲はあ
まりに小さく、それ以外の場所は闇に塗りこめられている。僕は正直に言えば少し怖かっ
たが、ディリータの手前弱音を吐くわけには行かなかった。
 背後で何かが動いたような気がして、びっくりして振り返る。カンテラの光を遮って大
きく動いていたのは、自分の影だった。
「どうかしたか?」
 いや、別に、と慌てて取り繕った。
「扉、閉めてかないでいいのかな」
 ディリータはかぶりを振った。
「やめといたほうがいい。こちらから開ける方法が分からないからな。それに、もしも俺
達が迷って出られなくなっても、あの扉が開いていれば、そのうち大人が気付いて助けに
来てくれるだろ。もちろん、そうなる前に戻ってあの扉を閉めないと、俺もお前も大目玉
だろうけどな」
 内心で安堵しながら、それもそうだね、と僕も賛成した。
 ほんの数m奥に入っただけなのに、あの扉の向こうの地下室が酷く懐かしく感じられる。
「さて、そろそろ行くか」
 ディリータは、杖のような長い木の枝を突き出して(どうしてあんなものを持ってきた
のか、僕は不思議に思っていた)歩き出した。僕も慌てて後を追う。取り残されるのはご
めんだった。
「わくわくするな」
 本当に楽しそうに彼は言った。当然僕も頷き返した。



 道は曲がりくねっていた。
「なんでこんなに角ばっかりなんだろう? 歩きにくいだけなのに」
「追手の目をかわすためじゃないかな。といってもこんなに曲がってばっかりじゃかえっ
て追いつかれそうだけど。よく分からないな」
「追手って?」
「今はそんなこと無いけど、このイグーロス城は300年くらい前は、れっきとした最前線
の城砦だったんだ。土地を巡って何度も戦が起こって、ここも戦場になった。これはきっ
と、城の主がいざという時に逃げ出すための抜け穴だと思う」
 僕は素直に、ディリータの知識に感嘆した。
「ぜんぜん知らなかったよ。ずっと昔から平和だったんだと思っていた」
「お前のご先祖様が、大変な犠牲を払って平和を築いたんだ。だから今でもベオルブ家は
尊敬されている。たぶんこんな仕掛けは、探せば城中にいっぱいあるんじゃないかな。城
の主が変わるたびに、こっそり自分しか知らない抜け道を作っていったんだろう。古い城
にはそういうことがあるんだって、本に書いてあった」
 ディリータは読書家だ。僕にはとても耐えられないような、難しい本を読む。僕の家に
来たばかりの頃は読み書きもできなかったはずなのに、今では僕よりずっと博識だ。いつ
の間に勉強しているのだろうと、ずっと不思議だった。
「少し腹減ったな」
「あ、僕、クッキー持って来たよ」
 かばんの中から、紙に包まれた焼き菓子を取り出し、2、3枚をディリータに渡す。自
分でも一枚齧った。
「お、ありがたい。便利なかばんだな」
 時々菓子を口に運びながら、左手にカンテラを、右手には杖を持って地面を叩きながら
進む。なにをしているのかと聞くと、ねずみに齧られないための用心だと言っていた。
「待て! 下がれラムザ!」
 突然、鋭い声が響いた。



「ど、どうしたの?」
「何か変なもんをつついた」
 カンテラを突き出しながら、ディリータは慎重に杖で地面を探った。
「おかしいな、逃げたのかな」
 言いながら、クッキーを前方に投げ捨て、カンテラを高く掲げながら数歩下がる。
「何かいるの……?」
「わからない。ちょっと様子を見よう」
 どきどきしながらクッキーを見つめていると、数瞬の後、音も無くクッキーが宙に持ち
上がった。驚いて竦んでいると、ディリータが囁いた。
「見ろ、ラムザ。ゼリーみたいなのがクッキーを食ってる。スライムだな、あれは」
 確かに、目を凝らして見れば、クッキーは宙に浮いているのではなく透き通ったぶよぶ
よしたものに取り込まれているようだ。クッキーは徐々に粉々になってゆく。
「どうしよう、ディリータ。あれは人も襲うの?」
「大人は襲われない。でっかいものからは逃げるらしい。でも、俺達は子供だからな……」
 ふるふると体を震わせながら、ぞろりとスライムは前進した。かばんの中の短剣を思い
出したが、そんなもので闘える相手とは思えなかった。
「逃げよう、ディリータ」
「いや、ずっと登り道だったから、地上はもうすぐそこのはずだ。回り込んで向こう側へ
走ろう。あれは日の光を嫌うはずだ」
 そう言いながらカンテラと杖を地面に置いて、ディリータはチョッキを素早く脱いで投
げてよこした。腰のポーチから小瓶を抜いて、杖と並べて地面に置く。カンテラを拾い上
げると、少しずつスライムに近づいてカンテラをかざした。
「危ないよ!」
「大丈夫だ、やっぱりこいつ、カンテラの火も嫌がってる」
 確かに、カンテラを避けようとするようにもぞもぞ動いている。
 しかし逃げる様子は無い。化け物にとって、僕らは食べ物に見えているのだろうか。通
路の幅は、せいぜい僕らの身長ほどしかない。化け物にそんなに近づかなければならない
と思うと、恐ろしくて体が震えた。
「ラムザ、俺のチョッキを木の枝の先に結び付けろ。早く!」
 言われるがままに、杖を拾ってチョッキを巻きつける。
「終わったら、その小瓶の中の油をチョッキに染み込ませて」
「服が駄目になっちゃうよ?」
「ぶよぶよに齧られるよりましだろ」
 仕方なく言う通りにすると、ディリータは右手を差し出してきた。杖を要求しているの
だろうと察して、端を握らせる。ディリータはかがみ込んで、カンテラの蓋を開けるとチ
ョッキに火をつけた。
「ラムザ、俺の後ろにぴったりくっついてろよ」
 ディリータは杖の先を突き出した。炎にあぶられて、思いがけない素早さでスライムが
伸ばした手を引っ込めて(そんな動きに見えた)、丸くなった。ディリータが火を近づけ
るたびにスライムは移動して、とうとう壁際に追い詰めた。僕とディリータは、反対側の
壁際を素早く移動して、スライムの向こう側に回り込んだ。
「走れラムザ!」
 僕らは全力で駆け出した。化け物は追ってこなかった。
 そしてディリータの言う通り、地上への出口はすぐそばだった。



 草原の上を風が渡る。
 日は傾きかけていたが、それでも十分に地上は明るく暖かく、僕は安堵に包まれた。ゆ
っくりと流れる雲を見上げると、さきほどの暗い通路が幻だったように思えた。
 出口はイグーロス城からちょっと離れた場所にある、小さな廃墟だった。もはや遺跡と
言ってもいい。道の最後の小さな階段を上がり、腐った天井(上から見たら床板だ)を跳
ね上げるとそこは地上だった。
「こんな場所に出るのか。この通路は塞がないと駄目だろうな……」
 そんなことを言いながら、ディリータは廃墟の周りをぐるりと巡った。
 僕は思い出した。この場所を知っている。
 周囲を見渡すと、近くに大きな木が見えた。木の種類は分からない。ディリータに聞け
ば知っているのかな、と思いながら近づいてゆく。
 根元には、石が何個か積み上げてある。
 小さな僕が、遺跡の周りで集めて積上げたのだ。あの頃はあんなに重く大きく感じたの
に、今改めて見ると、こんなにちっぽけだったのか。
 ディリータが近づいてきた。
「どうしたんだ? そこに何かあるのか」
「ああ、うん。お墓なんだ、これ。昔、僕が作った」
 母が死んだ後、一度だけ父上と一緒に母の墓を見舞った。大きな墓地の片隅の、小さな
小さなお墓はいかにも寂しげだった。墓碑には、ただ名前と享年だけが記された。母は、
自分の生まれた年を知らなかったから。
 そのお墓には、二度と近づいてはならないと言われた。その時の父上は、いかにも苦し
く悲しげに見えたので、僕はそれ以上の我儘を言えなかった。
 でも、寂しかった。
 だから自分一人で、こっそりと母の墓を作ったのだ。
 ほんの2、3年前のことだ。ここには何度か訪れたはずなのに、どうして今まで忘れて
いたのだろう。
 ……そんな話を、打ち明けた。
 笑われるかと思ったが、ディリータは最後まで真剣に聞いてくれた。僕には、それが嬉
しかった。
 ふらりとその場を離れると、ディリータは近くで何本かの花を摘み取って戻ってきた。
小さな石塚にそっと添える。片膝をついて、両手を組んで頭を垂れた。
「……ディリータ?」
「ラムザの母さんとは初対面だからな。お前も久しぶりなんだから、挨拶くらいしろよ」
 言われて、ちょっとだけ目頭が熱くなった。幸いディリータは黙祷しているので、気づ
かれる心配は無い。
 ディリータに並んで跪き、亡くなった母に祈りを捧げた。
 長い間独りぼっちにしてごめん、と。
 やがて日が翳り、その場を去る際にディリータに聞いてみた。
「ディリータ、この木はなんて名前の木か知っている?」
「……いや、ごめん、知らないようだ」
 ディリータは僕を見てちょっと笑った。
 今度勉強しておくよ、と言って。



 彼は、僕にとって最も年の近い兄弟であり、親友だった。
 彼は強く、たくさんの知識を持っていて、勇敢だった。そして、とても優しかった。
 だけど、僕ははじめて彼に嫉妬した。彼のように強く、優しい男になりたいと思った。
 ずっと後を付いていくだけでは恥ずかしい。母を前にしてそう感じた。
 僕はこれから、強くなる。賢くなる。優しくなる。
 彼は最も年の近い兄弟であり、親友であり、今日からはライバルでもあった。



『友』END
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