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■銀色の風■


 やはり、相手が多すぎた。
 破落戸相手ならば五対一でも遅れは取るまいと思ったのだが、甘かったようだ。
 一人、手練がいたのである。どうやら正式な戦技を学んだことがあるらしく、盾を壊さ
れてしまった。
 農夫らしき者が金品を巻き上げられそうになっているのを見かねて、つい手を出してし
まったのだが、不用意な正義感の露出は思わぬ危機を招いてしまった。これでは人死にが
出てしまう。……つまりは、己が未熟だということだ。
 農夫はと見れば、恐怖に竦んだのか腰が抜けたのか、座り込んでしまっている。せめて
男がこの場を去っていてくれれば、こちらも尻尾を巻いて逃げ出すことができるのだが。
あの様子では、声をかけても無駄だろう。困ったことになってしまった。
 次の一手を決めかね、剣をかまえてやくざ者と対峙していると、場末の歓楽街には不似
合いな、涼しげな声が響いた。
「お困りのようですね、騎士様」
 風が吹いた。
 銀色の風が。
 ……シルバーブロンドの髪が、優美にたなびいて目の前を踊る。
 一瞬、我を忘れて見入ってしまった。
 暴漢三人も、だらしなく口を空けている。自分も同じような表情なのだろうかと、慌て
て口元を引き締めた。
 美しい風は、鈴を鳴らすような透明な音色で、人の言葉を紡いだ。
「助太刀いたします」
 音もなく細身の剣を鞘走らせて、僕の隣に並ぶ。何か言わなくてはと焦り、間抜けな質
問を口にした。
「あ、あの、……お名前は」
 馬鹿だ。死にたいくらい間抜けだ。
 その女性はくすりと笑って、でも質問にはちゃんと答えてくれた。
「アグリアス、と」
 アグリアスか。アグリアス、アグリアス……。確か、本で読んだことがある。
 どこか遠い国の、蝶か何かの名前のだずだ。
 蒼い瞳、銀の髪、刃のような白皙の美貌。豊かな胸と腰、すらりと伸びた長い脚。
 この女性には似合いだと思う。
「騎士様のお名前をうかがっても?」
 僕は非礼に気が付いた。先に名乗りを上げるべきはこちらの方だった。
「ラ、ラ……ラムザです。剣士ラムザ」
 アグリアスは頷いた。
「伝説の英雄の名ですね。良いお名前です」
 顔に血が上る。これではまるで、初心な子供みたいじゃないか。
 なんとか取り繕おうと、無理やり厳しい表情を作って正面に向き直る。
 呆けていた暴漢が、慌てて構えなおした。
「ば、ば、馬鹿にするな! 姉ちゃん、下手な手出しをすると洒落じゃすまねえ目に合う
ぜ」
 アグリアスは悠然と微笑んだ。
「今のうちに逃げた方が身のためだと思うがな」
 軽く右手の剣を振るうと、ごく自然に足を踏み出した。



 難無く暴漢を追い払うと、彼女を手近な酒場に誘った。礼に食事と酒を振舞おうと思っ
たからだ。
 断じて不埒な下心からでは無い。
 ……と、思う。たぶん。あまり自信は無いけれど。
 あらためてお互いに名乗りを上げて、酒杯を交わす。本当はもっと上等な店に連れて行
きたかったが、この街ではこれでも一番ましな店なので仕方が無い。安い酒に安い料理だ
ったが、彼女は文句一つ言わず、美味しそうに皿を空け杯を干した。貴族的な外見からは
少し意外に思うほど、彼女は健啖家だった。
「手加減をしていたでしょう」
「分かりますか?」
 悔しいことだが、剣の腕はアグリアスの方が僕より数段上だった。全てお見通しらしい。
「殺さずに済ませようと思っていたでしょう? それで手を貸す気になったのです」
 ただの貴族の坊やの火遊びなら、叩きのめされるのを見物していたはずですよ。そう言
ってくすくす笑う。
 馬鹿にされているのかもしれなかったが、不思議と腹は立たなかった。
「そうですね。殺さずに収めるのが達人の剣だと師には教えを受けたのですが、まだまだ
修行が足りません。というか僕は、本当は剣は向いていないのだと思えます」
「ラムザ殿はお若い。精進を重ねれば、いずれ望みも叶いましょう。急いてはならぬとあ
なたの師も仰られたのでは?」
「そこまでお見通しですか」
「師匠の言葉など、どれも似たりよったりですからね」
 二人の笑い声が重なり合う。なんと楽しい夜だろう。
 あの暴漢どもに感謝しても良いほどだった。

 三杯目の酒を注文しようとしたところ、給仕の娘ではなく眉をひそめた店主が現れた。
「旦那様がた、すいません」
 恐縮した様子で言いにくそうに、僕たちを探しているらしい農夫が来たことを知らせる。
 おそらく先ほど助けた者だろう。礼でも言いに来たものだろうか。
 向かいの席のアグリアスに視線を向けると、すぐに了解したという風に頷き返して来た。
察しが良くてありがたい。店の方に問題が無ければ、ここに連れてくるように言った。
「そんな。貴族様と同席できる身分の者じゃぁございません」
 わずかに苦笑する。当然の対応だろう。くだけた席なのでかまわないからと言うと、納
得した様子では無かったがしぶしぶ承諾して、店主は引き下がった。
 ……やがて連れられてきた男は、予想と違わず裏通りで強盗されかかっていた男だった。
用事で離れていたのを合流したのか、見覚えの無い男と二人連れである。迷惑そうな店主
を下がらせ、空いている椅子に座るよう促したが二人は固辞した。
「先ほどは危ないところを助けていただいて、ありがとうございました」
 二人は頭をこすり付けるようにしてそう述べた。
 気持ちは受け取ったので頭を上げるように、と言ったのだが二人とも姿勢を変えない。
どうやら続きがあるらしいと気が付いた。
「あなた様方を見込んでお願いがあります」
 顔を上げずに、震える声で言葉を続けた。
 ここから歩いて四日ほど行った所にある二十家族ほどの集落が、盗賊に襲われていると
いうことだった。盗賊はひと月ほどの間隔を置いてたびたび訪れ、めぼしい金品や食料を
奪い、また若い娘を攫って行くのだという。盗賊というより強盗だった。最初は村の男た
ちも抵抗したのだが、三人殺されたところで諦めたのだという。攫われた娘が人質だと言
われては、村を棄てて逃げ出すことも出来なかった。
「近くの守備隊や警備隊にかけあったのだろう?」
 二人は悲痛に顔を歪めた。領主の兵は、盗賊に鼻薬を嗅がされているため、どこも助け
てくれないのだ、と。そして村からあらかたの財を絞りつくすと、もうこれ以上奪われる
物など何も無いという村人に、盗賊どもはこう言ったのだそうだ。種籾、種芋を売ってこ
い、と。
 それは、村に滅べと言っているに等しい。
 二人の男は涙を流した。そして村人達は決断した。どうせ死ぬなら戦って死のうと。
「そしてあいつらの言う通り、種籾の一部を売って金に換えました」
 来年の畑に必要な本当に最小限の分だけを残して、彼らは金を作ったのだ。僕とアグリ
アスが助けた男は、懐からいくばくかの金貨を取り出し、捧げ持った。
「あんた方の腕を見込んでお願いします。今度は村を……村を、救ってください。お願い
します。どうか、どうか、お願いします……」
 僕の心は既に決まっていた。見過ごすわけにはいかなった。
「盗賊は何人いるのですか」
 十人ほどだと言う。しかも、全員太刀筋は素人では無いそうだ。確かにこの金では何人
もの剣客を雇うことはできまい。かと言って、一人で十人を相手にしろと言われれば相当
の腕前でも腰が引けるだろう。そして、その金を目当てに、助っ人を頼んだ相手が強盗に
早変わりして、さきほどの騒ぎになったというわけだ。
「それはつまり、ラムザ殿と私の二人を雇い入れようと言うことかな」
 それまで黙って話を聞いていたアグリアスが、唐突に口を挟んだ。
「いや、僕は一人ででも……」
「無理はしないことです。今盗賊どもに逆らうということは、それは村の存亡をかけた賭
けをするということに等しい。あなたが死ねば、その後村の者も残らず殺されましょう」
 反論しかけた口を噤んだ。正論だったからだ。
「失敗したところで己一人の命で済むものなどと、軽々しく考えてはいけません。彼らも
それだけの覚悟をして来ている」
 二人の男達は、涙を拭って顔を上げた。
「……相手は十人です。ラムザ殿一人では分が悪いと言わざるを得ない。が……二人の剣
士の命の代金としては、大分足りないようですね」
 農夫は呻き声を飲み込んで、顔を伏せた。それは彼らとて重々承知のことだろう。しか
し一縷の望みを賭けて僕たちを頼ってきたのだ。彼らを救いたいと思う僕は甘いのかも知
れない。しかしまた、アグリアスがこの哀れな者たちを絶望に追い込むような心の持ち主
とも信じられなかった。彼女は、何を考えているのだろうか。
「アグリアスさん、報酬は全てあなたが受け取って……」
「冗談を言ってはいけません」
 アグリアスは厳しく咎めた。
「彼らは私たちに、報酬と引き換えに命をかけろと言っているのです。彼らは物乞いでは
ない。だから命の綱の種籾を売ってまで助けを探しているのです。私たちは正当な報酬を
受け取るべきですし、彼らは支払うつもりなのです。私たちの剣は、けして安売りしては
いけない」
 嗚咽を堪えながら、農夫は再び平伏した。
「……貴婦人さまのおっしゃる通りです。情けの深い方々だと思って、つい浅ましいお願
いをしてしまいました。申し訳ねぇ……お許しください」
「アグリアスさん……」
 僕は動転しながらアグリアスと農夫たちを見比べた。彼女の言うこともまた正しいこと
だと理解はしている。しかし彼女の唱える理を曲げてでも、彼らに手を貸したい、助けた
いと思ったが、説得の言葉は何一つ浮かばなかった。情けなかった。
 ふと、アグリアスは厳しい表情を和らげた。
「……だがまあ、私は報酬は後払いでもかまわないと思うのですが、ラムザ殿はどう思わ
れますか」
 涼しげな顔でアグリアスは言った。
「……え?」
 敏感に、希望の光を感じ取って農夫がアグリアスを振り仰いだ。御婦人の顔をまじまじ
と見つめるという非礼も忘れてしまったらしい。
「盗賊どもは、どうせ財を貯め込んでいるのでしょう。彼らを駆逐すれば、全部とはいか
ないでしょうが村へ財産は戻ります。そのお金は前金として受け取って、残りは成功報酬
でもかまわないかと思ったのですが……」
 農夫たちは歓喜の声を上げて、今度は喜びのあまりに涙を流した。
 何のことは無い。彼女も、最初から彼らを助ける気でいたに違いなかった。まんまと一
杯食わされたのだ。
 僕は安堵の長いため息をついて、愚痴を言った。
「……脅かさないで下さいよ。どうなることかと思ったじゃないですか」
「なに、あなたが安請け合いしそうな様子なので、ちょっと釘を刺しておこうかと思った
のです」
 そう言って、彼女は片目を瞑ってみせた。



 村人の助勢は断った。
 金で雇われた以上は、村人を危険に晒すわけにはいかないというのが理由だった。
 だが本音を言えば、奇襲に際して足手まといだったのだ。数の上の劣勢を覆すため、僕
らは先手を取って盗賊どもの根城を急襲することにしたのだった。
 村から一日ほど離れた場所にある山小屋が、彼らのアジトだ。次の襲撃まではまだ十日
はあるため油断しているだろうと踏んでいたのだが、予想通りだった。近くに大きな盗賊
団もなく、役人にも賄賂を渡して討伐隊が来る可能性も無いためか、警戒は緩みきってい
た。歩哨さえ立っていない。
 それでも用心して、一日を偵察に費やし、その夜は火も炊かずに野営した。一夜が過ぎ
る毎に傷つけられる女性がいることは明らかだったが、たった二人でこの襲撃を成功させ
るためには、もっとも警戒の手薄な時間を狙うより他に無かったのだ。せめて、命だけで
も全員助けてみせる。そう心に誓って、時間が過ぎるのを待つ。
 ──襲撃は、明け方になった。



「天の願いを胸に刻んで、心頭滅却! 聖光爆裂破!」
 アグリアスが果敢に切り込み、また新たに二人の盗賊が倒れた。既に二棟の山小屋を襲
撃し、抵抗するものは全員先頭不能に追いこんでいる。巧みに距離を取って、魔法のよう
に見える剣技を繰り出して敵を屠る彼女の姿は、戦の女神と見紛うほどの美しさだった。
 既に敵の数は半数まで打ち減らされているはずだった。しかし、残る二棟の山小屋の盗
賊達は、騒ぎに気づいて反撃の体勢を整えつつある。最初に踏み込んだ小屋に盗賊の頭領
が居なかったのは大きな誤算だった。統率力と戦闘力を兼ね備えた一番の強敵を、最初に
片付ける作戦だったのに……。
 切り込むのをアグリアスに任せ、僕は身を隠して盗賊の混乱を誘うことに専念する。同
士討ちが起ればしめたものだ。一人安全な場所に身を潜めるというのはある意味屈辱的な
役割だったが、『陽動を行わなければ勝ち目は無い』というアグリアスの言葉を、とうと
う覆させることはできなかった。確かに僕が彼女と背中合わせに戦ったところで、たいし
た戦果は上げられなかっただろう。そして二手に分かれると決めた以上、前衛は彼女しか
ありえなかった。おそらく、僕の誇りがその言葉に傷つけられるであろうことは承知の上
で、彼女は僕の剣の腕前と自分のそれの差を持ち出して、僕を説得した。返す言葉は無か
った、大変悔しいことではあったが。
 山小屋の中から、囚われていた女たちが逃げ出してゆく。アグリアスは一瞬だけ僕の姿
を探し、目線で合図を送ると次の標的である建物に向かって駆け出した。途中で大声で助
けを呼ぶ盗賊を、一刀のもとに切り捨てる。
 と、アグリアスは扉の前で突然足を止めると、剣を構えて踏ん張った。
 何事かと驚く間もなく、木星の扉がぶち破られて、木片が宙を舞った。アグリアスの長
剣が、巨大な斧を受け止めているのが見えた。
「野郎ども、びびるんじゃねえ! せめぇ部屋ん中じゃ人数多い方が不利なんだよ! 表
出て闘えこの玉無しどもが!!」
 不味い。ここで囲まれては不利だ。
 壊れた扉の破片を振り払い、灰色の蓬髪を掻き揚げながら大男が姿を現す。下品な言葉
使いに似合わず狡猾な頭脳を持つこの男が、盗賊団の頭領バパールだった。
「身の盾なるは……」
 聖剣技を繰り出そうとするアグリアスに、臆すること無く一瞬の内に肉薄するバパール。
巨大な斧を打ち捨てると、腰から両手持ちの大剣を抜き、アグリアスの広刃の剣と打ち合
った。
「……くっ!」
 弾き飛ばされそうになる剣を無理矢理引き戻して、二度三度と打ち合う。
「ほれほれじょーちゃん、片手じゃ間に合わねえぜ」
 バパールの言葉は伊達では無いようだ。膂力に物を言わせてたたみかけ、たまらずアグ
リアスは盾をかざして剣筋を逸らそうとする。
 思いは空しく、バパールの剣は正確に盾の中心に打ち込まれた。凄まじい圧力に、アグ
リアスはじりじりと後退を余儀なくされる。だが、いくら手練と言ったところで、彼女の
技量であれば一対一で引けは取るまい……。
 しかし、アグリアスの表情を見て僕は愕然とした。
 バパールの剣を受け止めた彼女の顔からは血の気が引いて、真っ青になっていた。
 盗賊は不気味に笑うと、一層の力を込めてアグリアスを押しやった。
 アグリアスは踏みとどまろうとしてたたらを踏み、耐えかねたように膝を付く。
 苦悶に顔を歪め、背中を丸めて何度も咳き込んだ。
 顔を覆った手袋の間から血が滴るのを、僕はただ見ていることしか出来なかった。



 咳き込むアグリアスの髪を掴んで、バパールが引き上げる。
 苦痛に歪んだアグリアスの顔を見て、男は笑った。
 彼女の喉が、ひゅうひゅうと笛を鳴らすような喘鳴を発している。
「死病だな。綺麗な顔だが、肺病み女は験が悪い」
 丸太のような腕を振り上げ、アグリアスの頬へ打ち降ろす。遠巻きにする盗賊どもから
歓声が上がった。僕の胸の奥で、暗い炎が吹き上がる。
「つまらねえな。小鳥みてえに、可愛らしく鳴いてみなよ」
 倒れたアグリアスのわき腹を蹴り上げる。彼女は鮮血を吐き、それでも声を漏らすこと
無く痛みに絶える。
「根性座ってんなァ。気に入ったぜえ」
 バパールはぐるりと周囲を見渡した。同士討ちで倒れた盗賊の死体に目を止めると、大
声を上げた。
「魔法使いがいるだろう! 出て来い! でねえと……」
 バパールはアグリアスを仰向けに転がして、器用に剣を動かした。ぶつぶつと、皮ひも
の引きちぎられる音が響く。
 背中から腕を回して彼女の体を抱え上げると、胸甲を引き剥がす。形の良い、アグリア
スの裸の胸がこぼれて、盗賊たちが口笛を吹いて囃し立てた。真っ白な肌に、行く筋もの
切り傷が刻まれ、血が流れていた。
 もう限界だった。このような事態になった時の対応は予め聞いてはいたが、全て僕の頭
からは吹っ飛んでいた。お互いに自分の命を最優先に、などという寝言は蒸発して消えて
しまった。この無礼な男達を這いつくばらせることしか考えられなかった。
 バパールは相変わらず挑発を続けている。
「出て来なければ、この女ァ死ぬぜ。……まぁ、出てこれねえような腰抜けなら、それは
それでかまわねえけどよ。どうせ俺らの敵じゃねえからな」
 げらげらと、下品な笑い声が響いた。怒りで体が震えた。僕の中で凶暴な獣が荒れ狂っ
ている。
 盗賊たちが僕に気づいた。にやにや笑いながら道をあける。
 バパールが僕の姿を認めた。片眉を上げながら言う。
「なんだ若造。半人前は物陰へでもすっこんでな。俺は魔法使いを呼んだんだぜ」
 僕は男を無視してアグリアスに語りかけた。
「アグリアスさん、すみません。あなたの命令は聞けません。僕も闘います」
 彼女は荒れる呼吸を整えながら、僕に答えた。
「ラムザ、わたしのことは諦めなさい。これはわたしのミスです。あなたは村人を助ける
ことだけを考えなさい」
 僕は鞘ごと剣を振り上げて反論する。
「嫌です。もちろん村は救います。だがあなたを犠牲にはさせない」
 アグリアスは声を荒げた。
「馬鹿なことを。聞き分けなさい、ラムザ。あなたも故郷へ帰れば一国一城の主なのでし
ょう! 為すべきことを為しなさい!」
 僕はやはり、剣を振り回す。
 もう少し。これが僕の切り札だった。
「お断りだ! 僕は村人もあなたも助けます。強欲と思うなら思えばいい」
「その傲慢さが身を滅ぼすと言っているのです!」
「あなたを抱くまで死ぬつもりは無い!」
 バパールが大声で嘲笑った。
「お前ら、この状況で痴話喧嘩か! とんだ大物だったな小僧!」
 アグリアスが身じろぎし、取り落とした剣を見つめた。
「鞘も抜かない剣を振り回して、女を口説く口だけは一人前か。全くガキの……」
 そこで何かに気づいたように、眉をひそめた。僕の剣を見つめる。
 顔色が変わる。
 何度も死線を潜った男の勘が、危険に気づいて警告を与えているのだろう。
「ま、さ、か──」
 だが、もう遅い。僕を線の細い青二才と侮ったのが命取りだ。
「時を知る精霊よ、因果の司る神の手から我を隠したまえ……ストップ!」
 それは、古代の魔法で鍛えられた特殊な剣だった。魔法使いのワンドと同様の機能を持
ち、魔法の発動を助ける宝剣だった。
 呪文が完成し、バパールの体が硬直した。
 極度の集中により練り上げられた魔法力が、盗賊の頭領の精神力を圧倒する。
 精神集中により威力を高めた見えざる縄が、バパールの四肢をがんじがらめに戒めた。
 アグリアスは己を拘束する手をかいくぐると、素早く剣を拾い上げる。くるりと身を翻
し、棒立ちになったバパールへ渾身の力を振り絞って突き立てた。首と鎖骨の間を通って、
柄がつかえるまで剣を沈める。剣先は狙い違わず心臓を貫いたことだろう。盗賊どもの驚
愕の声が幾重にも重なる。
 アグリアスは、勢い良くバパールの巨大な体躯を蹴り飛ばし、反動で剣を引き抜いた。
 噴水のように鮮血を撒き散らしながらその巨体が崩れ落ちる。地表へとたどり着くより
前に、既に盗賊の頭領は息耐えていた。
「なんだ、今のは……いきなりお頭の動きが止まって……!」
「あの小僧の仕業なのか。だが、何にもしてねえだろう!?」
「まさか、ありゃあ邪眼じゃないのか? 見られただけで死んじまうっていう……」
 恐怖が伝染する。支柱を失い、もはやこの盗賊どもは烏合の衆だ。
 だが許しはしない。この下劣な男どもは、アグリアスを辱めたのだ。それがどんなに罪
深いことなのか、身を持って知らしめねばならない。怒りに駆られ、僕は異常に好戦的に
なっていた。
 再び魔法剣を握り、呪文を唱える。
「……戦乙女よ、我が腕我が心に汝らの祝福を与えたまえ……バーサク!」
 心が闇に塗りつぶされる。アグリアスを嬲り嘲笑ったもの全てが息絶えるまで、僕はも
う止まらない。
 意識が途絶える寸前、視界の隅に銀色の風が踊るのが見えた。
 あれは、アグリアスの姿だ。流れる銀髪に、朝日が反射して煌いている。
 彼女は裸の胸を覆うことすらせず、恐るべき剣を振るって、死の舞踏を踊っている。
 とても、美しかった。
 まさしくあれが、僕の戦乙女だ。
 そして呪文が意識を覆い尽くして、僕は血に飢えた一匹の獣になった。



 目覚めた時には、どこか知らない部屋の、暖かいベッドの中にいた。
 どうやら夜のようだ。暖炉の中から薪が爆ぜる音が聞こえてくる。うすぐらい部屋の中
を照らすのは、暖炉の火と頼りないランプの炎だけだった。体を動かそうとすると、全身
が痛みに悲鳴を上げた。
「……っ!」
 思わず上げそうになった悲鳴を必死に飲み込んだのは、薄闇の中に細い人影を認めたか
らだった。
「ラムザ? 気が付いたの?」
 歯を食いしばって痛みに耐える。アグリアスは、僕の額からずり落ちた布を取り上げた。
手桶の水に浸して絞ると、僕の顔に浮いた脂汗を優しい手つきで拭き取ってくれる。
「無茶するのね。全身切り傷だらけで、私が魔法薬を持ってなかったら死んでいたかもし
れない」
 自覚は無かった。自らの意思で理性を失くすなど始めての経験で、自分でも驚いた。あ
んなに激しい感情を抱くことがあるとは、我ながら思ってもみなかったことだ。そして、
アグリアスの口調が前よりも随分砕けたものであることにも気が付いた。ひょっとして、
僕のことを少しは見所のある奴だと認めてもらえたのだろうか。
「あいつらは」
「うん、半分は助からなかった。もう半分は近くの警備隊に引き渡したわ。二〜三人逃げ
ちゃったけど、戻ってこないと思う。ずいぶん怖い思いをしたようよ」
 私も怖かったし、と言いながら悪戯っぽく笑う。
「捕まっていた人達は?」
「とりあえず、命に別状のある者はいなかった。奪われた財産も半分以上は無事に戻った
し、ずいぶん感謝されてるわ。暮らしは辛いでしょうけど、村は滅びずに済む」
 ようやく安心して、ため息をついた。
「あなたはちょっとした英雄よ。村の若い女達は、誰があなたの世話をするかで大変に揉
めたんだから」
 くすくすと笑う。からかわれていると分かるから、僕は口をへの字に結んで不本意だと
いうことをアピールする。他愛無い冗談を言い合って、少しの間沈黙が降りる。
 そして、とうとう僕は切り出した。
「体は……大丈夫なんですか」
 アグリアスは困ったように笑う。
「今はね。薬を飲んだから」
 口の中がカラカラに乾いた。何かを言いかけて……やはり、何も言えずに口をつぐむ。
「ごめん。隠してたわけじゃないんだけど……お察しの通り、私の病気は治らない。あと、
一年くらいって言われてる……」
 アグリアスは、ぽつりぽつりと語り始めた。
 武官を志して士官したこと。
 聖騎士の名誉を賜り、とあるお姫様の警護隊長を務めることになったこと。
 自分の仕事に誇りを持っていて、主人のこともとても好きだったこと。
 しかしある日自分の体の異変に気付いてしまったこと。
 それが、不治の病であったこと……。
「姫様はそれを知って、私に暇を出されたの」
 僕はただ、頷くことしかできない。
「ただし、新たに主を見つけて任官することは禁じられた。私の身分はいまだ、姫様の護
衛騎士のまま。姫様はね、残された時間を自分のために生きてみよ、とおおせられたわ」
「……お優しい方なんですね」
「ええ、とっても。とても優しい、私の自慢の……」
 アグリアスは静かに涙を流した。
「何故だろう。自分が死ぬんだって知ったときも、涙なんて出なかったのに」
 僕は黙って手を伸ばして、彼女の体を抱き寄せた。体中が痛みで悲鳴を上げたが、意思
の力を振り絞ってそれに耐えた。アグリアスは、黙って僕の胸に頬を寄せた。彼女のおと
がいにそっと指を添えて、その唇を優しくついばむ。
「あなたのせいよ。私を抱きたいなんて言うから、人恋しい気持ちになってしまう……」
 彼女の目じりの涙をそっと払って、さっきよりも激しく唇を求める。
 体の痛みを忘れて、僕らは抱き合い、愛し合った。
 それ以上のことを語る口を、僕は持たない。



 翌朝目覚めた時には、とっくに彼女は着替えを済ませた後だった。
 なんとなく恨めしい気分になって視線を送ると、まるで気づかないように彼女はにっこ
りと笑いかけてきた。
「おはよう。どうしたの、そんなにむくれて?」
「いえ別に。おはうございます」
 彼女は機嫌良さそうに頷いて、窓を開けた。少し冷たいが、清浄な空気が部屋を満たし
た。
「いちおう怪我人だから、そのまま寝ていなさい。今、朝ご飯貰ってくるから」
「その前に、ちょっと質問があるんですけど」
 アグリアスは、まあなあに、と言いながらくるりと振り返った。
 僕は少しだけ早鐘を打ち始めた鼓動をなんとかごまかそうとしながら、その言葉を口に
乗せた。
「……本当のお名前を教えて頂けませんか?」
 沈黙が降りる。彼女は小さくため息をついて、昨夜のようにちょっと困った顔で笑みを
浮かべた。
「一夜の恋の相手に対しては、ちょっと不躾過ぎる質問だと思うけど」
「非礼は謝ります。でも、仮名の相手にプロポーズしたら、もっと失礼かなと思って」
 今度こそ本当に驚いて、彼女はぽかんと口を開けた。一本取った、と僕は内心、密かな
満足感を感じた。
 彼女は少しの間立ち尽くして、そのあと頭を振りながらベッドの端に腰掛けて、まじま
じと僕を見つめた。
「……本気なの……?」
「本気ですけど」
「故郷のご両親がびっくりなさるわよ」
「どうせ大したことのない、小さな所領です。きっと父も母も喜びますよ」
「でも、私は永くは生きられない……たぶん、子供だって……」
「命に限りがあるのは誰だって同じです。どうせ最後は死ぬんだからと言って、愛する気
持ちを否定するのは不自然なことだと思います。アグリアスというのは、誰の名なんです
か?」
「おばあちゃんよ。凄く強くて綺麗な人だった」
 祖母の名だったのか。でも、素敵な名前だ。もしも僕らに娘が出来たら、この運命的な
名を与えるのも悪く無いと思えた。
「……ねえ、でも」
「それとも、あなたのお姫様はあなたが結婚することも禁じられたのですか?」
 再び彼女は目を丸くして、口を開けた。やがて、たまりかねたように噴き出し、笑い始
めた。
「そうね……もちろんよ。私の小さなルーヴェリア様は、もちろん結婚を禁じたりはなさ
らなかったわ!」
「祝福してはもらえないのでしょうか」
「いいえ、いいえ! きっと喜んでくださるわ。でも、死ぬほどびっくりされるでしょう
ね!」
 その光景を思い浮かべたのか、アグリアスは涙が出るほど笑い転げた。そして僕は、こ
のゲームに勝利したことを確信する。彼女の体を抱き寄せて、銀髪の中に顔を埋めた。
 あの、銀色の風を手に入れたのだ。
「分かった。わたしの本当の名前を教えます。だけどその前に、一つだけお願いがあるの」
「何なりと」
 アグリアスは身を起こし、悪戯っぽく僕を睨んだ。
「先に、あなたの本当の名前を名乗って」



『銀色の風』END
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